第46948話 壮絶! アゴヒゲアザラシVSボブ・サットゥ!

 

「いやあのさ、さすがにこういうタイトルはどうかと思うんだ俺は」

「? 誰に言ってるんですか?」

「いや、別に」

 俺はそう言葉を濁す。まぁ、あえて誰に言ったかと言えば当然前の人だろう。それ以外はありえんしね。しかし、付けた本人も問題が……いやまぁ、それはともかく。

 俺と真央、加えノアは実はまだ遺跡内部にいたりする。それもそのはず、俺が悪魔化したのがつい十数分前の話だ。そうそう簡単に慣れて動けるほど図太い神経をしていない。そして第一、こんな観光名所や調査団がうろちょろしているところに俺が出てってみろ。悪魔がいないこの世界じゃ空前絶後の大騒ぎだぞ。……まぁ、悪魔と魔族の違いを述べろ。と言われたら微妙なところではあるのだが……。

 さて、問題はそこじゃなくて、これからどうするか、だ。前述の通り俺はこのままの姿じゃ外に出れない。だからと言ってのんびりしてるわけにもいきたくない。さて、どーしたものか。

「なぁ、真央。俺の悪魔化ってさ、どうにか隠せないわけ?」

「悪魔化に速攻で慣れる辺りはさすがですね……。でも、すみません。正直マナがやったことなので私にはちょっと……」

「同じ人なのに分からないのか?」

 今度はノアが問い掛けた。それに真央は「はい」とうなずいた。

「根本的には繋がっていますけど……、私にだけ使える魔法、マナにだけ使える魔法というのが存在するんです。私たちは、一つにして個々なる者ですから」

 そう言う真央の顔にはありがちは悲しみはまったく存在しなかった。真央はマナを、マナは真央を何より大切に思っている確かな証だった。ああ、本当に魔王とは思えないな、こいつら。

「アレですね。変身後、変身前みたいなやつです」

「そんなモンなのッ!?」

 ノアの叫びも当然だった。

 って、のほほんと和んでる場合じゃなかった。これじゃあ状況は好転してんですヨ。しかし、真央の力はアテに出来ない。マナもマナで分かってないみたいだ。分かってたら、とっくに口出ししてるだろうしな。となるとどうにか俺一人の力でやるしかないわけか。

 さて、と。

 ハッ!!

 何とかした。

「さて、じゃあ帰るか」

「いやマスター!? ツッコミどころが満載なんだけどッ!?」

「私も同意見ですっ! い、一体どうやったんですかっ!?」

 いや、そんな驚かれても。とりあえず何とかしようと思ったから何とかしただけで。まぁ、ぶっちゃけバラすとここは絶対(アブソリュート)平等(エキュール)結界(フィールド)』である。つまり、悪魔も人も同じ。故に、悪魔状態の自分を人間状態の俺が抑制しただけだ。んじゃあ外に出たら戻るんじゃねーかと思うかもしれないが、そこはそれ。俺の内部に『絶対(アブソリュート)平等(エキュール)結界(フィールド)』の極小体を構築しておいた。これにて俺は自由に人間と悪魔を行き来できると言うわけだ。

 ……しかし、幾らなんでもこんなことが簡単に出来てしまった辺り、マナが偶然やった悪魔化ってのは、予想以上に凄い代物らしいな……。それより凄いのは、そうしてしまったマナと真央か。さすがに、魔王の名は伊達ではないな。

 継承してないけどね。

 そう思いながら二人(一匹? 一体?)に視線を向ける。まだ納得していないような顔をしていたが、俺の顔を見るとうなずいてくれた。

 それを確認すると俺はガオの街に向かい歩き出す。

 そんな中、ふと思い出した俺は他人事のように呟いた。

「そーいや……あいつら、まだやってんのかねえ?」

 

 

 やってた。

「くッ! まさか肉片の欠片からでも再生するとはな! だが、そう来なくては面白くない!」

「ばかぁ! 何言ってるの〜、面白がらないで〜、私もうへとへとなんだから〜〜」

 達人の勇ましい声が響き、後からリリアの情けない声が響く。まぁ、男の達人と女のリリアでは根本的スタミナに違いがあり過ぎる。しかも、実年齢は不明だが見た感じ幼いリリアでは尚更であろう。むしろ、ここまでの長期戦を耐えきっていること自体が賞賛に値する。

「フッ、我は『影の八守護者』、魔王様直属の部隊ぞ。そう簡単に倒れはせん」

 ディザイアが不敵な笑みを浮かべる。確かに、その姿にはもう傷一つも無い。しかし、最初の頃のような猛攻がないのを見ると、やはり消耗しているようだ。だが、それでも三人の戦いは収まらない。むしろヒートアップしていった。

 達人が斬る。斬る。斬る。斬る。

 それは乱舞。まさに猛攻。常人ならば避けることも、それ以前に自分が斬られたことにすら気付かぬ、まさに神速の剣撃。

 しかし、ディザイアも常人ではない。避ける。避ける。避ける。避ける。動体視力を超えるかのような剣舞を、身をずらし、かわし、捻り、回避する。

 それはまるで、美しき舞踏の姿。いや、この場合は舞闘、だろうか。

「我が手に集うは神聖なる明けの姿! 浄化せよ! 聖火!!」

 炎がディザイアを包む。しかし、ディザイアは自らの身が焼かれるよりも素早く炎より飛び出していた。リリアの魔法も、今や舞闘に色取りを添える装置としかなっていなかった。いや、それは何もリリアだけではない。達人も、ディザイアも、誰もが誰も、一つの舞台の上で等しく舞っていた。

「……綺麗だ」

 遠巻きに見ている野次馬がそう呟くのも無理はなかった。異常な光景が展開されているのに、それを恐怖と感じない。あるのは、美しいと思う心、ただそれのみだ。

 ――どれほど、時が過ぎただろうか。

 美しき舞闘は、ついにその幕を降ろした。

「そこまでだ!」

 唐突に声が響く。思わず動きを止め、声のした方を振り向く。

「フィシス!?」

「フィシスさん!?」

「魔王様!!」

 三人の声がそれぞれ響く。そう、そこに立っていたのは当然のことながら、俺、真央、そしてノアの三人だった。遺跡より戻って来てみればまだ戦っている三人である。周りに致命的な被害を及ぼしていないと言えど、これ以降どうなるかは分からない。ここいらで止めておくべきだろう。

 それに、もうこいつらが戦う理由はない。

 俺は真央に視線を向けた。彼女は「分かってますよ」と目で言い、ディザイアに話しかけた。

「ご苦労様でした、ディザイア。私とフィシスさんは仲直りしましたから。もう、大丈夫です。あ、もちろんマナとも仲直りしましたよ」

 そう言ってにっこりと微笑む。すると、ディザイアから嘘のように闘気が失せた。巨大な青鬼のような男は、ぎこちなく微笑むと真央に言った。

「では、我はこれで。またいつでもお呼び下さい、真央様」

 ディザイアはそう言うと、自らの影の中にスッ、と消えて行った。あとに残ったのは互いにボロボロの達人とリリアだけだった。

「や、やっと終わった……。タッちゃんのお仕置き並だよ……」

「ほほぅ! そんなにお仕置きとは疲れるのかね!? 是非とも今夜ゆっくりワシに聴かせてくれんかね? こう、ベッドの中でぅえええええッ!?」

 どこからともなく復活したウイッカが速攻でノアに踏まれていた。お、しかもその後蹴り上げて回転尻尾クラッシャー、落ちたところを再び踏み潰してる。しかし、コイツといい、あの犬親父と言い、この世界は親父がなんか変な奴しかいねえんだろうか。だったら嫌だ。

「くぅおおおおおおおおッ! 負けん! こんなことではワシの燃え滾る『漢』を消すことなぞ出来んぞおおおおおッ!!」

「くっ、しまった!!」

 ウイッカの声とノアの声が同時に重なる。ノアの足より脱出したウイッカがあろうことか真央の方に向かってやってくる。

「ふっふっふ、マナ嬢は怖くて手が出せぬが、真央ちゃんなら清純そうでナイスじゃ! ふふふ、食べがいがあるのぉ―――――!!」

 ……ほんっと―――――――――――――にこのクソ親父は……。

 ノアが嫌うわけも十二分に分かろうというものだ。

 とりあえず、真央に触れさせたりなんかするもんか。そう思い拳を繰り出そうとしたら――

 ごめ゛ッッ!!

 物凄い鈍い音が響いてウイッカが地面に叩きつけられた。

 慌てて隣を見れば、そこには巨大なモーニングスター、しかも柄が尖っていたりする獲物を持っている真央の姿があった。

 普通に怖い。と言うか真央の意外な一部分を見た気がする。

 真央は、地面に潰れてるウイッカに向けてきっぱりと言い放った。

「私は……私は、フィシスさんだけのモノです! あなたみたいなナマモノに触られたくありませんッ!」

 はっきりとした拒絶。

 ……う、不覚にも嬉しかったぞ……。

「えへっ」

 心を読んだのか、真央が照れながらもにっこり笑いかけてきた。

 ああちくしょう、可愛過ぎるぜまったく。

「ちゃあああああんすっ!!」

 と、その時潰れてたと思われたウイッカがバッ、と飛び出し―――――

 真央の、スカートの中に潜りこんだ。

「……………………」

 真央が、固まる。

「い……」

 口から、声が漏れる。まだ固まっている。

「いやああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!」

 しかし、それも一瞬だった。悲鳴を上げた真央は即座にその場を飛び退くと重力と力の許す限り思いっきりウイッカに向けてモーニングスターを叩き込んだ。

「粉砕鉄球『ヴァニッシャー』! 必殺! 稲妻重力落としいいい!!!」

「ごぶるああああああああああああッッ!!?」

 ズゴシャアアアアアアアアアッッッ!!!!

 物凄い音がしてウイッカが地面に陥没する。しかも、それだけでは飽き足らず、地面に埋まったウイッカに対し、何度も何度も何度も何度も何度もモーニングスター――粉砕鉄球『ヴァニッシャー』とやらで殴りつける。その度にウイッカの身体は地面へと沈んでいく。

「うわあああんっ! うわあああああんっ!!」

「ごぶっ! げぶっ! ごはあああッ!!」

 泣き叫ぶ真央は、遂に埋まってるウイッカにヴァニッシャーを置いて、ぐりぐりとかき混ぜ始めた。そう、それはまるで擂り粉木とすり鉢でゴマを刷るかのようにッ!

 エ、エグイ……。

「…………………」

 遂に悲鳴すら漏れなくなった。死んだか? ウイッカの奴……。

「……アレで、死んでくれればいいんだけど……」

 そうポツリと漏らすノアの声が聞こえた。うっそ!? アレで死なねえの!? だとしたらお前の親父は前魔王並だよ! 生命力だけ!

 そう思って、改めて真央の方を見てみると、どうやら必殺技は最後を迎えているようだった。

 真央は鉄球部分の逆、つまり尖った柄の部分をウイッカに向けると、躊躇無くぶっ刺した。

「ごぎゃああああああああ!!」

 悲鳴が漏れた。

 うわ、マジで死んでねえ。

 真央はヴァニッシャーから離れると、天に手をかざした。

「稲妻重力落としいいいいいいぃぃぃっ!!」

 再び技名を叫ぶと、かざした手をヴァニッシャーに向けて振り下ろす。

 ビシャアアアアアアアアンッ!!!!

 本当に稲妻が落ちてきた。ヴァニッシャーに。

 ウイッカ、黒焦げ。

「うおっ!?」

 思わず声を上げる。それもそのはず、アレで終わりだと思ったら何とあろうことか、ヴァニッシャーがどくんどくんと脈動を繰り返していた。その度にウイッカの身体がびくんびくん跳ねる……って!

 アレ、血を吸ってんじゃねえのッ!?

 恐るべき真央の力と真央の武器。

 初めて真央での魔王部分を見た気がした。

「ふえぇぇぇぇん……」

 と、真央が泣きながら俺の胸に飛び込んできた。咄嗟のことなので思わず倒れそうになるが、何とか踏み止まる。

「ど、どうしたんだ、真央?」

 どきどきと早くなる心臓の鼓動をはっきりと感じつつ問い掛けると、真央はしゃくりあげながら言った。

「み、みっ、見られちゃいましたぁ……。ひっく、フィシスさん以外には、見られたく、なかったのにぃ……」

「…………え〜っと……」

 声が掛けられない。なんか、ここで下手に声を掛けたらお嫁にもらってください、とか言われる気がする。スゲエする。よし、軽はずみな行動はしない、軽はずみな行動はしない、軽はずみな行動はしない。これでOK。

「傷物にされちゃいましたぁ……。……フィシスさん」

 真央が潤んだ目で、上目づかいで俺をじっと見つめてくる。ぐっはぁ、なんかデジャヴを感じるぞ。しかも悪い予感も同時だ。よし、もう一度だ。軽はずみな行動はしない!

「こんな私でも……お嫁に、貰ってくれますか……?」

「……ああ!」

 って何きっぱりはっきりと言い切ってるんだ俺ええええええええっっっっ!!!!!!?

 軽はずみな行動はしないぞ誓いは何処へ行った!? なんか来そうだからあれほど注意したのに意味無し!? 完全無欠に意味無し!?

 ああでも真央は可愛いし、こんな風にされたら断れるわけねえだろっつーかここで断るわけねえだろ普通!

 うん、俺に悔いはない。……たぶん。

 ――本当に?

 ふと、そんな疑問が脳裏を駆け巡る。

 ――本当に後悔はしないかい?

 ――本当に大丈夫だと言いきれるかい?

 ――本当に……。

 ――もう二度と、辛くならないかい……?

「フィシスさん……!」

 また真央の目が潤む。それはもちろん嬉しさ故だ。顔を真っ赤にして、照れながらも、真央はじっと俺の瞳を覗き込んでいた。同様に、俺も真央の瞳を覗きこむ。瞳の奥でマナが「絶対に、真央を悲しませるなよ!」と、言っている気がした。俺は微笑んで、「ああ」と目で語った。きっと、これで伝わるだろう。そう思っているうちに、先ほどの思いは頭の隅へと追いやられてしまった。

 それが良かったことなのか、悪かったことなのか、分からないけれども。

 そうだな、どんな理由があろうとも、真央が魔王であろうとも、彼女を悲しませることだけはしたくない。俺は、そうはっきりと思った。

 真央が、ぎゅっ、と抱き着いてくる。真央の身体は温かく、柔らかかった。押し倒されまがいのことをされた時はかなり焦ったが、やっぱり真央はこの方がいい。明るく、優しく、魔王らしからぬ魔王でいて欲しい。そう、切に願う。例え魔王に願うのが変であったとしても、そうであって欲しい。

 真央は、魔王である以前に、真央という一人の少女なのだから。

 でも、やっぱあの押し倒されまがいはどーかと思うんだよなぁ……。真央って、あんな大胆な奴だったのか……?

「あ、あれはっ、あれは……その……マナに……そそのかされて……」

 より顔を赤くしてぽそぽそと消え入りそうな声で呟く。あー、何となく予想がつく。どうせ『ここいらで気持ち確かめときな!』とか言ったんだろう。んで、誤解とは言え、リリアとの行動で不信がってた真央はノッちゃった、と。

 だよな、普通。なんか真央は、そんな押し倒してくるとかするような奴じゃないもんな。

 うん、やっぱ真央はこういう方がいい。

「あっ……」

 真央が小さな声を上げる。

 気付けば俺も真央を抱きしめていた。彼女の身体は細く、まるでこのまま折れてしまいそうな、そんな弱さを感じた。だからこそ、余計にこの少女が愛しく思えた。

 ――離したくない。

 心から、そう思えた。

 そんな時だった。

「ぬおおおおおおおおお!? おお下僕! 助けろ下僕! 今すぐ可及的速やかに助けろ下僕!!」

 なんでこういい雰囲気のところを綺麗きっちり完璧に邪魔してくれやがりますかねこの親父はッ!!

 半眼で声のした方を見つめる。するとそこにはお見事にも犬親父と、エクスシアがいた。

 ……こいつらもまだやってたのか?

 呆れ半分、感心半分を持って胸中で呟く。達人やリリアも凄かったが、こいつらも恐るべきスタミナだ。そういやこの二人は一体何処に飛ばされていたのだか。もし別大陸だとしたら本気で凄い。このデスグラードン大陸は周り海に囲まれてるからなぁ。船とか転送ゲートじゃねえと来れないはずなんだが……。何故だろう。何故身体にワカメとか昆布とか海草類がくっついているんだろう。

 まさか……海の中を爆走してきた……?

 ……何故? 何故はっきり違うと言い切れない?

「こらあああああ! 何を考えてるのだ下僕! 早く助けんか下僕!」

「うるせえ! 下僕下僕連発すんなこの犬畜生!!」

「犬畜生!? ああっ、下僕に苛められるッ! 吾輩悲しみの余りギターをかき鳴らしちゃったりする孤独なロンリーハートッ!?」

 貴様の図体でギターをどうやって弾くというのだか。

 犬親父の後ろでは相変わらずエクスシアがぶんぶん剣を振りまわしている。それを何とか避ける犬親父だが、確かに彼女の剣を避けながらここまで来たというのなら賞賛してもいいかもしれん。

 と、さっきからずっと黙っていた真央がゆら〜〜〜〜り、と犬親父とエクスシアに顔を向ける。

 びくうぅっっっ!!!!!

 犬親父とエクスシアの動きが瞬時に止まった。

「で、では、わ、私はこれでっ……!」

 逃げた。

 エクスシアは何か恐ろしいものを感じ取ったのか、真央の命すら放り投げて影の中に逃げた。真央は特に追及する気はないようで、ギッ! と修羅の如き視線を犬親父に向ける。

「おおおおおおッ!? わ、我が娘がこれほどの表情をするとは! 魔王らしくなってくれて感無量だが何故その視線を吾輩だけ独り占めにッ!?」

「お〜〜と〜〜う〜〜さ〜〜まぁ〜〜〜〜?」

 地獄の底から響くような声を出す。ごめん、真央。俺も本気でお前が怖い。

 真央はザッ、と一歩犬親父に近付くと、突如手の中に虚空より一つの物体を出現させた。

 物体召喚。呪文詠唱もなしに、しかも呼び動作も何もなしにやってみせた。やはり恐るべき魔力。恐るべき魔法力。なのに……なのにッ……!

 ステッキだった。

 しかもハートマーク型の。

 何処かの魔法少女が無駄に踊りながら振り回しているかのような。

 実際にそんな奴がいたら引きまくりのような。

 そんなステッキだった。

 そんなステッキを真央は召喚しやがった。

 魔王だ。やっぱり真央は魔王だッ……! いや、ある意味では超勇者かッ!?

 しかし、真央はそんな俺の心を完全に無視して犬親父に向き直った。

 その瞳は――

「……お父様……。せっかく……せっかく、私と、フィシスさんがいい雰囲気だったのに……! だったのに、ソレヲ邪魔シマシタネ!」

 怒りと憤りと憎悪と憤怒と怒涛と激怒と殺意。そして片言。

 と、とにかく滅茶苦茶無茶苦茶ハイパーヴォリア・ゼロドライヴ的に怖いんですヨッ!?

「覚悟……完了ですか?」

「ノォォォォォォッ!? そんなの、そんなの勧めないでえええええええッ!!!」

 犬親父は叫ぶが、真央は聞かない。召喚したステッキをくるくる華麗に回すと――

 ジャキッ!!

 何故か妙に機械っぽい効果音を立てて先端を犬親父に向けた。

 すると、あろうことか先端が突如変化を開始する。

 ――そして、真央は告げた。

 冷静に、静かに、落ちついて。たゆとう海のように安らかに。流れる雲のように穏やかに。輝く青空のように清涼に。

 そして、全てを凍りつかせる絶対零度の世界を構築するかのように。

 全ての者に対し、等しく等価値なる死の言霊を。

「因果までを滅ぼして、汝を永遠から解き放とう。存在無き者は、全てに等しく混沌なり。――無限荷電粒子砲『ネームレス・ゼロ』」

 ズギャグアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッッッッッ!!!!!!!

 とてつもない大音量を発し、ステッキから巨大過ぎるビームが放たれた。

 それは無骨。無骨にして全てを消滅させる巨大な力のうねり、奔流。

 それは無。全てを無に帰す、慈悲も、そして残酷さすらない究極の無。

 全てを破壊、否、消滅させる意思を持った力は、犬親父の身体を包み、溶かし、翻弄し、昇華し、滅し、因果を消した。

 『存在無き者』の名を冠した、ネームレス・ゼロはその名の通り、犬親父を完全に消滅させた。声を上げる暇さえなく、避ける暇さえなく、犬親父はこの世界から消滅した。

 ――この瞬間、真央は遂に正式に『魔王』の名を継承するに至った。

 自らの親の、完全消滅を以って。

「…………」

 真央が無言でネームレス・ゼロをしまう。俺は何と声を掛ければいいのか分からず、ただ呆然としていた。そんな時だった。

 今まで、俺が思ったことを全て覆す声がしやがったのは。

「あー、マジで消えるかと思った」

「うわコイツ復活しやがったしかも至極単純あっさりとつーか今までのはなんだったんだよ一体わけわかんねえよもうやだよこいつら常識通じねえようわああああああああん!!」

 しまいにゃ泣き出す始末だった。

 そりゃ仕方ない。何せ今消滅したばかりのはずの犬親父がピンピンに元気にその場に立っているのだから。何なんだよ、今のネームレス・ゼロの一撃は何なんだよ!?

「さすがはお父様ですね」

 そんな真央の感嘆の声がする。ええ!? 効かないって分かってたんですか真央さんってば!!

「さすがは前魔王……。あの一瞬で別次元に転移してみせるとは……」

 ノアがそんなことをぽつり、と呟いていた。マジか!? あの一瞬で次元転移!? 座標軸も決めずにしかも戻ってくるときも完璧な座標軸で固定して!? 尚且つ次元転移宝珠無しで!?

 ……犬親父よ。今俺は初めてお前を前魔王だと認めてもいいと思ったぞ。

「ふん……吾輩を誰だと思っている。引退したとは言え前魔王だ。そう簡単に消滅したりなぞせん。もっとも、今のは本気で危なかったがな。体組織の九九,九九九九九九%が消滅させられたわ」

「いやむしろその〇,〇〇〇〇〇一%で蘇った貴様を俺は誉めてえ」

 心底そう思う。さっきのディザイアといい、この犬親父といい、魔王の知り合いは超人的再生力保持者なんですかいね。異常過ぎだ。これでどうやって倒せというのか。勇者とか七賢者って偉大だったんだなぁ。本当にどうやって魔王滅ぼしたんだろ。

「まぁとにかく真央&マナよ。これでお前たちは正式に魔王の名を襲名することとなった。うむ、父として感無量だぞ!」

「お父様……」

 真央がちょっと感動しているようだ。ううむ、確かにこれで真央も立派な一人前魔王。魔王になるべくして生まれてきた彼女にしてみればそれは当然嬉しいことなのだろう。

「しかし真央よ。幾らなんでもやり過ぎではないか? 吾輩、危うく本気で逝っちゃうところだったぞ?」

 そしてそれも当然だった。

 まぁ、確かに幾らなんでもやり過ぎだよな。俺も普通に怖かった。まさかマナではない真央があそこまで殺るとは思っていなかった。

 しかし、真央はにっこりと微笑んで――

「いいえ」

 と、あっさり言ってのけた。そして真央は俺の腕を取って、ぴったりと寄り添うとはにかんだ笑顔を浮かべ、再び犬親父に言った。

「私とフィシスさんの恋路を邪魔するようでしたら、お父様と言えど容赦しませんから♪」

「何故にそんな輝かしい笑顔でしっかりと殺るぞ宣言をッ!?」

「……って言うか、今ので滅んでれば文字通り邪魔者が一人減ったのに……」

「え!? 今の真央!? 真央なのッ!? マナだろ!? マナなんだろッ!?」

 なんか物凄ェ怖い台詞が聞こえた気がする。今の台詞はマナであって欲しい。そうじゃないと俺が真央に抱いてるイメージが一瞬にして崩れる。つーか今の台詞は完全に聞き間違いだそうに違いない。うんそうに決まってる決まってる。

 決まってるって言ったら決まってるんだよッッ!!!!

「……吾輩って……」

 なんか落ちこんだらしい犬親父が隅っこでいじけている。肉球での『の』の字を書いていたりもする。あ、興味を持ったガキ共が寄って来た。おお、四肢を引っ張られてる引っ張られてる。うおお! 口の中に爆竹突っ込んだ!? 尻にストローぶっさして息吹いたッ!? 動かなくなった!? 埋めた!? 墓石作った!? 書いてある文字が『犬親父のバカ』!? お約束!? んでもってまさにその通り!! って何で知ってるんだガキども!?

 ……最近のガキは怖ェ、マジ怖い。

「オ、オレもあんな風にされるのか……!?」

 本気で戦慄してるらしいノアが呟く。安心しろ、俺も悪魔化したら犬親父のようになりそうで本気で戦慄中だ。この街でだけは悪魔化せんようにしようとかしょーもない決意があるぞ。

「さて、と」

 犬親父の逝き様をしっかりと見届けた俺は、ず―――――っと無言だった二人に視線を向ける。

 時雨達人。

 リリア・フォルトゥナ

 メザロリ教の二人というのは地獄に行ったウイッカから教えてもらった。正確に言えばリリアだけ教えてもらったのだが、一緒に行動しているということは同業――或いは関係者の確率が高い。

 現時点で、最も謎が多く、最も危険な人物である。

 『時見の聖女』。メザロリ教の中でも中核をなす存在である。何故、そんな彼女がここにいる? そして、何故俺の未来を視た? ただの好意や酔狂で他人の未来予知をするような人物ではないだろう。そこには何かしらの思惑があるはずだ。

 そして、二人は俺の名を知っていた。となれば、この二人は――或いはメザロリ教は確実に以前から俺をマークしていたことになる。あいにくと、俺は世界中に名を轟かすような有名人ではないんでね。

 自然と身体が緊張する。それはノアも同じらしく、無言でこちらに近寄ってきた。いざとなれば、即座に龍具となれる状態だ。真央も俺にぎゅっ、としがみついてくる。

 だが、そんな状態の俺たちを見てリリアは笑った。

「そんなに身構えないでください。あなたたちと敵対する気はありませんから」

「……この状況の元々の原因を作った奴が何を言う」

「う゛っ」

 痛いところを突かれたのか、リリアがうめき声を上げる。そう、元々の原因はこやつなのである。こいつが、こいつがあんな『マティの儀式』なんぞをやるから! やるからッ!

 俺は真央に押し倒され、マナには殺されかけ、悪魔化してしまったのである。

 別に悪いことばかりなわけではないのだが、せめて謝罪くらいしてもいいだろこの野郎。

「すまんな。こちらにもこちらの事情があるのさ」

 達人がリリアの頭にぽん、と手を置きつつ言った。そのままくしゃくしゃと髪を撫でる。リリアはくすぐったそうにしているが、別に嫌がってはいないようだった。ほんのりと頬も赤いところを見ると――

「なるほど」

 思わず声に出して苦笑してしまった。

 が、真央が腕に引っ付いているこの状況。俺、他人のこと笑えねえじゃん。

 そんなことを思いつつ、俺は達人に訊く。

「さて、んじゃその事情とやらは何なんだ? わざわざ俺に儀式をしたってことは何か理由があるんだろう?」

「まあな。だが、お前に答える義務はないさ」

「ちょっとタッちゃん!」

 リリアが咎めるように言うが、別に俺は気にしちゃいない。むしろ、正直に話すわきゃねーだろとか思ってたくらいだ。今のは単なる意思確認。

 しかし、達人は意外なことを言った。

「だが、正直お前と関わり合いになることは避けられそうにないようだがな。まぁ、いずれ逢うこともあるだろう」

 そう簡潔に言うと達人は背を向けて歩き出した。

「あ、ちょっと待って! そ、それじゃフィシスさん! また!」

 リリアは慌ててそう言うと達人を追って姿を消した。

 まったくもって謎だらけの二人だ。一体全体、何が目的で俺に接触してきた? 分からないことだらけだが、今はまだいい。

 今はただ、日常が戻ったことを喜ぼう。

 って言うかこういう状況を日常と呼べるようになった自分が嫌だぁ。

 とりあえず、まだ腕に引っ付いてる真央を離そうと身体を動かすと――

 ぎゅうっ。

 余計に強く引っ付かれた。ぐああああ、胸がッ、胸が当たってるッ! 肘が、肘が感動を噛み締めていやがりますよッ! って、そうじゃねえ。なんか真央の表情が変だ。なんつーか、こう、悪戯っぽい笑みっつーか、してやったりの笑みっつーか……あ、ま、まさか……ッ!?

「気付きましたか?」

「あああああああああああッ!!!」

 真央の言葉に、唐突に思い出した俺は大声を上げる。そうだそうだそうだそうだったッ!!

「ど、どうしたんだマスター?」

 ノアが心配そうに訊いてくる。それを無視して俺は叫んだ。

「捕まっちまったああああああッ!!」

 そう、すっかり忘れていたがよくよく考えりゃ俺と真央は追いかけっこゲームをしている最中だったのだ。そして、俺が捕まった時点でアウト。その場から世界征服スタートと言うルールだったのだ。つーことは、今から世界征服スタートってわけか。

 まぁ、別に俺の決意の問題と、真央の自主性を聞きたいがために始めたゲームだしな。捕まっても別に問題ない。俺の心は既に決まっている。問題は真央だ。

「さて、俺は捕まったわけだが真央。宿題は出来たか?」

「どうして世界征服するのか……ですね?」

「ああ」

「ってマスターッ!? またまたツッコミどころ満載ですがッ!?」

 すまんノア。お前の言い分はもっとも過ぎるほどもっともなんだが、これは俺と真央の約束なんだ。

 真央は俺から離れると、俺を正面から見据え、きっぱりと言い切った。

「私が私で在れる世界。フィシスさんがフィシスさんで在れる世界。このままの日常がいつまでも続くような、そんな世界を私は望みます」

「…………」

「私は……」

「…………」

「私は、フィシスさんといられれば、フィシスさんがいてくれれば、それだけで幸せですから」

「…………」

 真央は、一切合財の迷い無くそう言い切った。

 故に。

 俺も、ふざけた答えを返すことは出来ない。真央が真摯な想いで告げたのならば、俺はそれをしっかりと受け止める義務がある。例え始めが巻き込まれだったとしても、今、俺は自分の意思でここに立っているのだから。

「真央」

「……はい」

「それは……」

「…………」

「それは世界征服する意味がねえんでないの?」

「…………あ」

 真央さん、呆気。

 そう、真央が望むのはこの日常の世界。ならば、正直に言って世界征服する必要は無い。何しろ、世界征服なぞしなくても、充分にこの状況は続いているのだから。いや、むしろ加速度的に上昇中だろうか。いずれにせよ、繰り返しになるが世界征服する必要はまったくもって無い。

 優しい真央らしい言い方だなと言えばそうなのだが。なんか、心が温かくなるような気持ちだ。

 しかし……結局ツッコミに回ってしまうのは一体如何なもので?

「う〜〜、そっかぁ……それじゃ世界征服しなくてもいいってことになっちゃう〜〜〜」

 だが、意外なことに真央は悩んでいた。てっきり今の通り世界征服する気はないと思っていたのだが……。

 そんな俺の心を読んだのか、真央がはっきりと言ってくる。

「本音を言えば、私もマナもあまり世界征服自体に興味はありません」

「なら……何故?」

 ノアが訊き返すと、真央は――否、真央とマナ、二人の魔王は自らの想いを告げた。

「私たちは魔王です。魔王であるが故に、何もしないわけにはいかないんです。何もしないということは、魔王としての基盤を揺るがすことに――魔王としての存在意義を失うのと同等のことですから。世界征服に固執する意味はあまりありませんが、だからと言ってのんびりと生涯を過ごすわけにはいかないんです。もし、私たちがそうしてしまえば、そこで『魔王』という存在はこの世界から消滅することになります。『魔王』の名と重みを継承した以上、私たちには何か大きなことを成し遂げる義務があります。それが、私たちの成さねばならないこと。後の『魔王』への道を残すことが、現魔王である、私たちの役目です」

 長い台詞を言い終えて、真央は大きく深呼吸をした。

 沈黙。

 俺は沈黙していた。

 否、沈黙するより他なかった。

 俺が――俺たちが考えていた以上に真央とマナは真剣な、真摯な想いで以って『魔王』をやっていた。決して軽はずみな想いではない。父親に大きな事を成し遂げろと言われたからではないのだ。二人は『魔王』の想いを、重みを真正面から受け止め、そしてそれに応えようとしていた。

 ――何もしなければ、魔王としての存在意義を失う。

 二人はそう言った。そう、それは確かにそうなのだ。悪は悪を成すが故に悪である。だからこそ、魔王は魔王と言う存在を世間に知らしめてこそ、初めて『魔王』として存在することが出来るのだ。魔王は悪が作り出すわけではない。『魔王』は、それを認めた『他人』によって創り出される称号の存在なのだ。人の記憶から消え去れば、人が『魔王』という存在を忘れれば、『魔王』はそこで消滅する。

 故に。

 これは単純な話ではなかった。二人にとっては、真央とマナにとってはまさに文字通り『生命を掛けた闘い』なのであった。正直、前魔王――つまり二人の父親ははっきり言って表舞台に出てきていない。今では魔王という存在は古文書などに見られるのみである。そう、それはウイッカが言った『赤染めの女神』もその一つである。現に、アイツから聞くまで俺もその存在を知らなかった。人々は、『魔王』という存在を忘れつつあるのだ。

 世界征服なんて言うのは手段の一つに過ぎないのだろう。

 新生『魔王』の誕生、及び復活のための。

「……ったく」

 呟く。

 呟いて真央の肩に手を置く。

「フィシスさん……?」

 きょとん、とした声を上げる真央を、俺はぐいっ、と引き寄せた。

 有り体に言えば、抱きしめた……かな。

 突然俺に抱きしめられた真央が顔を真っ赤にして慌てふためく。本当、こいつは可愛いよ。

 それなのに。

 それなのに、そんな想いと重みを真正面から受け止めやがって。

 本当に、俺たちなんかよりよっぽど立派な生き方しやがって。しかもそれをおくびにも出しやしねえ。悔しいが、今の今までまったく気付かなかった。

 だから――

「お前たちはさ」

「……は、はい」

「既に立派な『魔王』だよ」

 そう告げる。

「えっ?」

「今、この瞬間に、俺の心に真央とマナ、二人のことがはっきりと刻み込まれたんだからな」

 俺の心に居座った二人に。

 はっきりと、記憶に刻み込まれた二人に。

 顔を赤くしながら呆気に取られている真央に、俺はもう少し言葉を付け加えた。

「なぁ、真央、マナ」

「は、はい」

「どでかいこと、してやろうぜ」

「……えっ?」

「俺も、手伝うからさ」

 そう、心はとっくに決まっていた。

 真央とマナ、二人が望んだことを手伝うと。

 それが、俺の決めたこと。

 それに、こんなおもしろそうなこと放っておくわけないだろう?

「どでかいことして、『魔王』の名を人々に刻み込んでやろうぜ。もう二度と忘れられないくらいにな」

 真央が沈黙するのが気配で分かった。俺は言葉を続ける。

「俺は真央とマナと共にいるから。下僕だっていいさ。俺は、お前たち二人を手伝うため、共にいるために、ここにいるんだから」

「フィ……フィシスさんっ……!」

「――頑張ろうぜ、真央、マナ」

『……はいっ!!』

 真央とマナ、二人の声が重なったような気がした。いや、きっと気のせいじゃない。二人の返事はぴったりと一致していたはずだ。それが、二人の想いの強さをより証明してくれる結果となる。

 俺は真央を抱きしめたまま、輝く太陽に、煌く蒼穹に、そして、世界を護る五つの月に誓った。

 それは何よりも強固な誓い。

 それは何よりも確かな誓い。

 それは何よりも強き想いの誓い。

 その誓いは――

 ――我、汝が望む限り共に歩む者なり――

 

 

 約束。

 誓い。

 誓約。

 言い方は多々あれど、程度の差こそあれど、それらは全て大切なことを交わした結果の言葉である。例えそれが誰と誰が交わそうとも、その差は存在しない。例え分別ある大人同士の約束事だとしても。

 ――それが例え、幼い子供同士の他愛無い約束だったとしても。

 

 

「あーっ! 俺のから揚げ取ったーッ!」

「へっへーん、早いもん勝ちさ〜!」

 元気な少年二人が騒いでいる。見慣れたいつもの朝の光景。そして、微笑ましい光景。これから一日が始まると言うことを教えてくれる元気な騒ぎ。周りのみんなもいつものことだと知っているから何も言わない。鬱陶しがったり、苦笑したり、微笑んだりしながら朝食を食べている。しかし、それにしても今日は随分と元気がある。いつも以上にはしゃいでいた。それもそのはず。今日ここに新しい仲間がやって来るのだ。彼等の元気は、それに対する期待の表れなのである。

「もう、二人ともいい加減にしなさい!」

 そして今日もまた叱責が飛ぶ。少年と対して変わらない年頃の少女である。力強い意思を秘めたその瞳、明るい笑顔は見るものを元気にさせてくれる。この幼さだが、ここで立派にリーダーとしての役割を果たしている。他の面々からの人望も厚く、慕われている、そんな優しい少女だった。

「今日は新しい仲間がやって来るのよ。それなのにいきなりこんな情けない場面を見せちゃったら――」

「ふふ、もう遅いわよ」

「えっ!?」

 突然入り口の方から声が響く。慌ててそちらに目をやってみれば、そこに立っていたのは和やかな笑みを浮かべた淑女だった。落ち着いた物腰は柔らかで、女性特有の包容力をはっきりと感じさせる、そんな女性だった。

 そして、隣には少女とそう変わらない年頃の一人の少年。俯いて、下を向いている。

「えっと、その子が?」

「ええ」

 少女が問い掛けると女性は微笑んで答えた。少女は食事を一時中断すると、女性と少年の元へ歩いていく。他の面々も同じだ。そして、彼の目の前にくると覗きこむようにして目線をあわせようとした。

「――ッ!」

 しかし、彼は何かに怯えるように瞳を逸らした。だが、少女はそんなことはお見通しとばかりに逃げる彼の瞳を逃さない。じっ、と真正面から覗きこむ。

「――ッ」

 明らかに怯んでいる。何かに怯えるように、何かを怖がるように彼の瞳は如実に恐怖を訴えていた。しかし、そんなことは少女は気にしない。自分も最初来たときはそうだったから。だから大丈夫。すぐにそれが消える。彼女は、それを知っていた。

 だから、彼女は告げる。

 彼の恐怖を消すために。

 彼が、仲間となれるように。

「ここに来た以上、約束事が一つあるの」

「……やくそく?」

 問い掛けてくる。怯えながらも、はっきりとした声だった。

 少女は、そんな少年に言った。

 かつて、自らも言われたあの言葉を。

「みんなと仲間になること。――みんなと、家族になること。それが、約束事だよ」

「えっ……」

 少年は驚きの表情を浮かべる。少女は、否、みんなはその驚きを肯定するように、にっこりと笑った。暖かく、微笑ましく、優しい光景だった。

 少年が笑った。ぎこちなかったが、引きつってはいたが、何より確かな笑みだった。

「……うん!」

 そして、そう答えた。

 何よりも嬉しい言葉を掛けられた瞬間だった。

 大事な、何より大切な約束が彼の心に生まれた瞬間だった。

 

 

 覚えているのが難しいような、そんな昔。

 もう、遠い、遠い昔の約束だけれども。

 小指同士で交わしたような他愛ない約束だったけど。

 守れなかった、約束だったけど。

 決して、忘れることは無い。

 大切なものだから。

 いつかのきみの言葉は、とても大切なものだから。

 例え土に還っても、それだけは忘れない。

 そして、これからも忘れない。

 まぶたを閉じれば昨日のように想い出せるから。

 きみたちが。

 ――きみとの毎日が。

 

 

 懐かしく、暖かく、柔らかく、優しく。

 そして悲しく、哀しい夢の物語。

 

 

 海。

 海と言えば広い。海と言えばしょっぱい。海と言えば――

 とまぁ、上げてみればたくさんある海。俺たちは今そんな海に来ていた。ガオの街での一件以来幾日かが過ぎ、暇に加え夏ということもあり真央から「海に行きませんか?」というお誘いをもらったのだ。無論、速攻で即答で肯定した。そんなわけで俺たちはここ、ティルレプア島にいるのである。

 ここは海流が穏やかで、海水浴場として賑わっている。と言うことは図らずとも海岸は大勢の人で一杯である。まぁ、正直夏休み中の海水浴場なんて何処もかしこも似たり寄ったりである。この人の多さを敬遠しているようでは海水浴には来れまい。

「フィーシスさんっ」

 と、着替えを終えたらしい真央が俺の元へと駆け寄ってくる。そのスタイル良いプロポーション、元来の美しさから常日頃から注目の的になりまくりの真央だが、今回はそれに拍車が掛かっている。何せ泳ぎに来ているのだから当然水着なわけである。真央らしい落ちついたデザインのパレオではあるが、はっきり言ってそのシンプルさは真央の美しさをより引き立てている結果となってしまっている。

 うああ……周りの羨望と嫉妬の視線が痛いぜ……。

「フィシスさんフィシスさん! どうですか?」

 そんな俺の気持ちを読んでないらしい真央が俺の前でくるっ、と一回転してみせる。ああもう言うまでもねえ、似合い過ぎだ。可愛い過ぎだ。素晴らし過ぎだ。

 ほんっとーに生きてて良かった……俺。

「えへへ〜〜〜」

 今度は心を読んだらしい真央が顔を赤くして照れていた。いやそこで照れるな。俺も恥ずかしいから。

「初々しくていいですねえ、マスター」

「ケッ、最近の若ェモンはヨォ」

 ノアとウイッカの親子がそんなことを呟いている。ノアよ、お前はちょっとじじくさいぞ。ウイッカよ、テメエなんで生きてやがる!? 真央の粉砕鉄球ヴァニッシャーに血まで吸われたんじゃなかったのかッ!?

「フッ、ワシの命の炎を消すなど出来んぞ。何故なら!!」

『……何故なら?』

 俺と真央とノア、三人がぴったりとハモって訊くと、ウイッカは身体を逸らしに逸らしまくって偉そうに答えた。

「そこに女がいる限りッ!!」

「ノア」

「イエス、マスター」

 何処かの魔道書みたいな忠実さで応えるノア。そして、俺はウイッカが言ったコンマ一秒以下の間にノアを龍具として腕に装着。真正面から思いっきりウイッカの顔面をぶん殴る。

 ゴガッ!

「ぬぅえぅおぅああああああああああああッッ!?」

 弟子に吹っ飛ばされる師匠みたいな声を上げてウイッカは海へと沈んだ。が、コンマ一秒以下で蘇ってきた。

「ぬははははは! ここは海! 海と言えば水着ギャル! ぴちぴちの水着ギャルが満載のこの海水浴場ならばワシのパワーは無限大! そう! ワシは今、猛烈に熱血しているうううううううううううううッッッ!!!!!」

「……元気ですね」

「いや真央、そこで元気ってのは間違ってる」

(どっちかって言えば……盛ってるよな……)

 ノアの言い分はドンピシャだった。いつも女性を見掛けるとナンパしてるような野郎だが、今回のパワーは今までの比じゃない。むぅ、夏の海水浴場とはここまでウイッカを元気にさせるものなのか。それほどまでに美少女&美女がたむろしているものなのか。

 試しに見渡してみる。

 ぐるぅり、と辺りを見回し、可愛いなぁ、と思った女の子を一人見つけたので思わず見つめる。すると向こうが俺に気付いたらしい。ちょっと慌てた後、はにかみながら手を振ってくれた。当然俺も振り返す。

 ……う〜〜む、納得。

(いやしてどーすんですかマスター)

「ふぃ〜し〜す〜さ〜ん?」

「ひゃいッ!?」

 なんだか後ろから怖い声が聞こえた。しかもなんかゴゴゴゴゴとか効果音まで出ている始末です。何故でしょうッ? 何故か俺は前を向いているはずなのに後ろに立ち込めるオーラが見えますよッ!? 黒い、黒いオーラがッ……!!

 恐る恐る……と言うか戦々恐々としながら錆びたブリキロボのようにギギギギギと首を後ろへと巡らす。

 笑顔。

 笑顔で。

 笑顔で粉砕鉄球ヴァニッシャーを右手に。

 笑顔で無限荷電粒子砲ネームレス・ゼロを左手に。

 そして無言で俺に矛先を向けている真央嬢の姿があった。

「私はフィシスさんのこと、信じているんですけどね」

「は、はいっ?」

「……浮気するようでしたら、許しません」

「う、浮気って俺たち別に恋人関係じゃないだろッ!?」

 と思ったが口に出すのはやめた。言ったら言ったで色んな意味で苦労しそうだし、真央は俺と恋人のつもりだろうし、そして俺は――

 ――俺は……。

 ……分かっちゃいるんだけど、な。

 気持ちの整理くらい、ついてるんだけどな。

 真央が羨ましい。

 あけすけに自分の気持ちを偽り無く言える真央が。

 心からの笑顔を、誰かに向けられる真央が。

 誰かを……。

 ――誰かを、愛せる彼女が……。

(……マスター?)

 途端に真剣な顔をして黙り込んだ俺を訝ったのか、ノアがやや遠慮がちに問い掛けてきた。それに対し、俺は「いや、何でもねーよ」と軽く答えただけだった。真央もそんな俺の感じにやや疑問を持ったのか先ほどの件を追求してくる気配はなかった。

「難しい顔などして考え込むとはのぅ。お前には似合わん」

「いきなり出てきてもっとも考え込むのが似合わなそうな貴様だけには言われたくねえ」

 何時の間にか横に来ていたウイッカに即座にツッコミを入れる。こんな濃ゆい顔をしている奴に言われたくねえなぁ。どう考えても物事を深く考えてそうには見えないし。それともコイツ、意外にも見掛けによらないタイプか?

(いや、見たまんまだよ、マスター)

 ノアの駄目押し補足が入って決定付けてくれた。

「しかし……お前がそんな顔をするということは……女か?」

「何故そうなる!」

「照れるな照れるな。男と言うものはそうやって女子に想いを馳せるものじゃよ」

「否定はせんが貴様が言うと何か別の意味に取れる」

(まったくだ)

 息子のノアの肯定も取れた。やっぱりコイツは何処かイッてる部分があるなぁ、と再認識した辺りで、あろうことかウイッカは物凄く余計なことを口走りやがった。

「ほっほっほ。どうせ、やっぱ俺はスク水じゃないとハァハァ出来ないぜとか、つるぺたが似合うぜとか思っておったんじゃろ?」

 真央の視線が痛い。いや、って言うか信じるなよ真央!!

 とりあえず、スゲエ殺してェ。

 いや、殺す!!

 即座に決断した俺は龍具ノアをウイッカにぶちかまそうとする。

(待ったマスター!)

「おおッ!?」

 突如ノアから待ったコールが掛かり、思わず俺は体勢を崩す。一体何なんだよ、と思いつつ問い掛ける。

「いきなり止めてどうしたんだ?」

 そう聴くと、ノアがニヤリと不敵な笑みを浮かべたように見えた。実際は龍具状態なのだから顔などないのだけれど……何故だかそう見えた。

 ノアは(まあ見てなって)と言うと、突如龍具が形を変え始めた。

「な、なんだ!?」

(じっとしてて!)

 ノアの一喝に俺は黙りじっとする。その間も龍具の変形は続いていた。大きな翼が形勢され、美しきフォルムを誇る形状がその姿を現していく。それはまるで――

(これがオレの形態の一つ。バスターモードさ)

 そう、まさにノアの言う通りバスターモードとでも呼ぶべき形状となっているのだ。清廉なフォルムは全てを滅し、浄化するのに相応しい。なるほど、ノアが何を言いたいかしっかり分かったぜ。

 俺は無言でウイッカに狙いを定める。

「なぬッ!?」

 驚きの声を上げるがもう遅い!

「勝手にスク水萌えだとかつるぺたが良いとか好き放題言ってくれたな! しっかりと、その報いを受けてもらうぜ! 行くぞ、ノア!!」

(了解ッ!)

 俺とノアは同時に吼える。腕に力が集まって行くのが分かる。後は、これをぶつけるのみ!

「ドラゴニック!」

(ガン!)

『ブラスタ―――――ッ!!』

 適当に二人で技名を叫びつつ、エネルギーの奔流をウイッカにぶつける。だが、その前に!

 俺はウイッカの顔面に砲口をピタリと押し付けた。そしてニヤリと笑う。

 ノアも俺の考えが分かったようだった。最後にもう一度二人で叫んだ。

『零距離発射あぁぁぁぁぁッッ!!!』

 ズバアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!

 無限荷電粒子砲ネームレス・ゼロに負けずとも劣らない力の奔流がウイッカを呑み込み、吹き飛ばして行く。奔流はウイッカを呑み込んだまま海を切り裂き走る。走る。疾る。海を切り裂き、水飛沫を上げ、通ったところは海水を一瞬にして蒸発させていた。そして、遥か彼方で盛大な水飛沫を上げた。あそこが着弾点らしい。

 どうせまた復活してくるであろうウイッカに向けて俺は一言言っておいた。

「ウイッカよ……。俺はスク水萌えでもつるぺた萌えでもない」

 宣言する。

「俺はメイドさん萌えだ」

(はっきり言い切るのもどうかと思うけど……)

「ちなみに○○さんとか最高だね」

(……そのネタはやめようよ。って言うか誰だか分からないし)

 ノアのお咎めが入ったのでこの辺りでやめておく。第一、こんな海水浴場で自分の萌えを堂々と語れるほど神経図太くない。

 龍具状態のノアを通常の龍状態に戻していると、ふと後ろから声が聞こえた。

「そっか……フィシスさんってメイドさん萌えなんだ……。……私も、努力してみようかな」

 何をデスか真央さんッ!?

 

 

 そんなこんなで騒ぎながらも俺たちは和気藹々と楽しくやっていた。真央は楽しそうにはしゃいではよくナンパされていた。その度に俺の元へ来て腕を取るのはちょっと勘弁して欲しい。ナンパが嫌なのは分かるけど、さすがに恥ずかしいからさ。犬親父は犬掻きでちょこちょこと泳いでいる。身体がウエルシュコーギーなだけあって妙に愛嬌があるのが何か嫌だ。そしてその可愛さに騙されている少女たちが集まっている。犬親父は犬親父で完全に犬の振りをしていたりする。セコイ。

 ノアは犬親父と似たようなものだった。元々珍しい……と言うか別次元の生物な上、ノアは幼龍ということもあり愛嬌があるのだ。何気に可愛かったりするし。

 ウイッカは……言うまでも無い。突撃、玉砕、復活のエンドレス・ループだ。

 そして俺はただぼーっと真央たちが泳いでいるのを眺めていた。別に泳げないわけでもなければ泳ぎたくないわけでもない。ただ、考え事をしているだけの話だ。

 ……いや、思い出している……か?

「フィシスさん?」

 と、何時の間にか隣に真央が腰掛けていた。ぼーっと眺めているつもりだったが、それ以上にぼーっとしていたらしい。そんなにも考え込んでいたのだろうか。そんなにも昔を懐かしがっていたのだろうか。いずれにせよ、俺はいつもの笑顔で「ん? どうかした?」とだけ真央に言った。納得したのかどうかは不明だが、真央は何も言わなかった。

 と、視線を別の方向に向けるとちょうどゴミをポイ捨てしている不届きな輩がいた。

「あーゆー人たちがいるから海が汚れるんですよね〜」

 真央の言い分はもっともだったが、アークファルナはまだマシな方だぞ? 地球はもっとひどいからな。

 そんなことを思いながら再び視線をポイ捨て野郎共に向けてみると――

 なんかいた。

 そこには何かがいた。

 そいつは、まずアザラシであろうと思われるものだった。

 ヒレもあるし、形状もほぼ間違い無い。それでも断定出来なかったのには理由がある。

 まず最初に……濃ゆい。とにかく顔が濃い。

 第二に、眉が太かった。

 第三、髭が凄い。

 第四、身長がでかい。二メートル近くありやがる。

 おまけ、メガネ装着済み。

 ……本当にアザラシ?

 俺がそう思うのも無理はないと思って欲しい。

「な、なんだコイツ!?」

「こっち来んな!」

 ポイ捨て野郎共も俺と同じ気持ちらしい。

 と、謎アザラシ(?)はポイ捨て野郎共をいきなりヒレでぶったたいた。

「ほほぉ。珍しい、アゴヒゲアザラシではないか」

 と、目の前の光景を完璧に無視して唐突にウイッカの声が響いた。

「知ってるのか?」

 俺も無視することにして、そう問う。すると自慢げに鼻を鳴らした。

「当たり前じゃ。奴等はアゴヒゲアザラシと呼ばれる種族じゃ。身体の大きさに加えとにかく顔が濃いのが特徴でな。……しかし、こんな海水浴場に出没する奴等じゃったかのぉ?」

 ウイッカがそう疑問の声を上げる。その瞬間、俺はかつてない戦慄を感じた。それはとてつもない悪寒。戦慄。恐怖。身体が、脳が、心が全力で何かに怯えている。分からない。その正体は分からないがとてつもなくヤバイものだということは分かる。

「ふぃ、ふぃしすさんっ……!」

 声が裏返っている真央が俺の腕をくいくいと引っ張る。それを受け真央の視線を追ってみると――

 いた。

 アゴヒゲアザラシが。

 たくさん。

 たくさんいた。

 海を埋め尽くさんばかりの数がうようよとひしめいていた。それはまるで生け簀の中で養殖される魚のようにうようよと。中にはリボンがついている奴が半数くらいいるが、もしかしてひょっとしてアレが……。

「メスじゃ」

 ウイッカのとどめ。本気で吐血したくなった。

 そしてその中でも更に異彩を放つ一体のアゴヒゲアザラシ。

 それは巨大。巨大にして圧倒的存在感を放つ存在。身長は他の奴等のゆうに二倍はある。

 それは角刈り。角刈りにして角刈りとしか言えない角刈り。そう、つまり何故か髪の毛があるのだ。しかも角刈り。しつこいようだが何故だか角刈り。

 それは撃墜数。自らの力を誇示するかのような数。そう、何故かアゴのすぐ下に撃墜数が『正』の字でカウントされているのだ。ちなみに現在の数は一八。果たして一体何を撃墜した数なのか。

 そんな奴が、悠然とたたずんでいるのだ。

 しかし、一体何でこんなところにやって来たんだ?

「は、はうぅっ……」

 あまりにもいろんな意味でキッツイ光景だったせいか、真央が目を回した。……気持ちは分かるよ。すっごいよく分かる。俺も目を回したいくらいだからさ。とりあえず倒れる前に支えてやる。

 デカアゴヒゲアザラシ――恐らくリーダーだろうが――は一歩前に進み出ると突如口を開いた。

「――人間共よ」

 物凄い美声だった。某金色の獣をやってる人くらいに美声だった。

 物凄い似合わなかった。圧倒的に何か間違っていやがる。

「貴様等は我等の住処を汚し、犯し、それを悔い改めようともせぬ。よって、我等が直々に裁きを下すことにした」

「つまり海を汚されてムカツクから報復に来たといっておる」

「通訳ご苦労」

 ウイッカにそう言う。それにしても意外過ぎるほどマトモな理由でここに来ていた。顔が顔だけにやはりとてつもなく似合わない。そんな俺の思いを完璧に無視ってアゴリーダーは続けた。

「だが、今ここで裁きを下したところでいずれは同じことの繰り返しとなろう。故に我等は貴様等人間を滅すため、種を残す機能を持つ者を奪う。それすなわち人間が滅びることなり」

「つまり可愛い女子は全て俺らのもんだー! と言っておる」

「結局やることはこのナマモノと一緒かよ!!」

 本気で突っ込んだ。何なんだよ、珍しく顔はともかくマトモな理由で出てきた奴かと思ったが……、ウイッカと同類でいやがった。格好良く言ってはいるものの、要はここには女を漁りに来ているらしい。てめえらはディープ・ワンズかよコンチクショウ。

「何!? ワシをあんな奴等と一緒にするな!」

「くそドやかましい! 何処からどう見てもお前とあいつらは同類だ!」

 そう叫びながらウイッカをむんずと捕まえてアゴ部隊に放り投げる。悲鳴を上げつつ吹っ飛んで行くウイッカ。部隊の中に入ると即座にアゴヒゲジョリジョリアタックがウイッカに決まっていた。うわぁ、痛そうな攻撃だぁ。でもまぁ、どうせ死なないだろうし放置しても問題は無いだろう。

 それよりも問題はこいつらアゴ部隊だ。このまま放置しておくわけにはいかない状況だろう。さすがに海水浴場側も思うところなのか警備部隊がやって来ていた。この圧巻な光景だからだろうか、やたらと数が多い。ざっと五〇人近くはいる。まぁ、対するアゴ部隊は軽く三桁を超えている多さなので五〇人が多いといえるかどうかは微妙だが。しかし、一海水浴場にこれだけ警備員がいるのは確かにやたら数が多いと言えるかもしれない。

「催涙弾、麻酔弾、て――――ッ!!」

 隊長の号令の元、無数の催涙弾、麻酔弾が発射される。中には呪縛結界や重力魔法を唱えている警備員もいる。しかし、しかしだ。

 アゴリーダーはニヤリと笑った。

 ニヤリと笑い、こちらも指示を出した。

「全員、ビェードマシンガン用意」

 全アゴ、一斉にうなずく。すると全アゴ、警備員に向けてヒゲの濃いアゴを向けた。

 そして――

「発射」

 似合わない美声の元、何と全アゴのヒゲが警備員に向かって発射された!

「な、なにいいいいいいいぃぃぃぃぃぃッ!!?」

 隊長の驚愕の叫び声が聞こえ、飛んできている催涙弾、麻酔弾を全て撃ち落とし、そして――

 警備員は全員沈黙した。

 全員沈黙させるのに二〇秒と掛かっていない。

 圧倒的。

 圧倒的戦力だった。

 あの顔だから――いや、あの顔に騙された俺たちが阿呆だったのだ。

「マスター!」

「ああ!」

 これはのんびりバカみたいに眺めている余裕はないと悟った俺とノアは即座に龍具形態へと移行する。同時にバスターモードに移行、いつでも撃てるように準備をしておく。その間に支えていた真央はゆっくりと砂浜に横たわらせる。

 アゴリーダーがこちらを見る。

 どちらも動かない。否、動けない。どちらかが動いた瞬間に勝負は始まり、そして決する。それほどまでに緊迫した雰囲気だった。互いに互いの動きを見極め、見切り、見斬る。全ては一瞬だ。

 しかし、その雰囲気も意外な一言で打ち破られた。

「ふーん、アゴヒゲアザラシか。また妙な奴が出てきたものね」

「え!?」

 声は俺の後ろから聞こえた。慌てて後ろを振り向けばそこに立っているのは真央その人である。しかし、今の口調、声音といい真央ではないようだが……あ、そうか。

「マナか」

 俺がそう言うと彼女はうなずいた。すると真央の背中から大きな翼が出現し、一枚一枚の羽根となって分かれ真央の身体を包み込んだ。羽根が彼女の身体を覆い尽くした次の瞬間、羽根は飛び散り、その中から出てきたときは既に真央の身体ではなかった。

 マナ・フォノスセア。

 真央のもう一つの人格。もう一人の真央。そして、『赤染めの女神』。二〇〇年前のことなので本人かどうかは分からないが、その名に恥じぬ力を持っていることは間違いない。その彼女が、何故急に?

 そんな俺の表情を読み取ったのか、彼女が言ってくる。

「真央ならまだ目を回してるよ。正直アタシもあまりあいつらを直視したくないね」

「俺もだ」

(オレも)

 三人一致だった。

「それはそうと、フィシス、アタシの水着はどう?」

 と、こんな状況だというにも関わらずマナはそう言ってくるっ、と一回転してみせた。海水浴場ということもあってか、マナも水着なのだ。とりあえず、正直に言う。

「悪い、いつもとあんま変わんねー」

「死ねっ!」

 ボグルゥアッ!!

 鈍い音をたてて俺は砂浜に沈んだ。い、いや、しかし……いつも露出度が高いから本当にあんまり変わらないんだってば……ぐふっ。

(マスター、女性には言ってはならないことがあるんだ)

 何故だか妙に達観したノアの声が響く。やっぱ、ウイッカを父に持つと反面教師が凄いのだろうか。かなり実感こもった声なのですけれど。

「ったく、フィシスはそこで沈んでな。あいつらはアタシに任せておきな」

 頼もしい限りだ。確かにあれほど強力な魔法や召喚術の類が使えるのならば、このアゴ部隊ともやりあえるだろう。が。

「誰かいる?」

「ここに」

「『影の八守護者』呼ぶのかよ!!」

 突っ込んだが無視された。全ッ然お前が戦ってねえ。と叫びたかったが、叫んだら叫んだで絶対ヒドイ目にあうのが分かっているのでやめた。第一、マナ自身が戦うとは一言も言っていなかったし。

「その声は『暴虐者』だな。……打ってつけかもしれないね。よし、出てきな!」

「ハッ!」

 それと同時に突如マナの目の前に魔方陣が出現する。それと同時に何処からともなく響く声が。

「虚空の星より来たりて、正しき愛を胸に、我は正義の矛となる。我が名はボブ! ボブ・サットゥ!!」

 その途端、魔方陣が眩く輝いた。光が、煌きが集まって行く。目を開けていられずに思わず固く目をつむる。しばらくしてから目を開くと、そこには俺の目を点にさせる奴が存在していた。

 その頭は角刈り。角刈りにして角刈り。しかも角度キッチリ九〇度。それ以外に形容しようがない。

 その目にはゴーグル。水中ゴーグルにしてゴーグル。それ以外にどう言えと?

 筋肉質な鍛え上げられた身体。だが足にはスネ毛がたくさん生えており、何故か海パンに靴下だった。

 とどめに腕に刻まれている文字。

 『真央命』

 俺は悟った。

 こいつも、アゴと同類だと。否、こいつはアゴ種族であると。顔もそうだが受ける雰囲気までそっくりである。これで否定しようとするほうが難しい。難しいに決まっている。と言うか否定する気がおきない。問答無用でアゴ。

「ボブ・サットゥ、参りました」

「相変わらず派手な登場だが、まあいい。よし、では奴等を蹴散らせ!」

「ハッ! ……って、あんたひょっとしてマナ?」

 いきなりサットゥの声が丁寧じゃなくなった。それを訝ったのかマナが訊く。

「それがどうした? アタシの命令は聞けないとでも?」

 怒気をはらませて訊くが、サットゥは何処吹く風といった表情で、

「何だよ〜、真央じゃねーのかよ。俺の真央だと思ったからはりきって出てきたのによー、ガッカリだぜ」

 ……またとんでもないガーディアンがいたもんである。主君の目の前で不平不満を愚痴るような配下はそうそういないだろう。しかも現魔王たる彼女たちの前で。直属の部下が。

 こっそりとマナを盗み見してみると、やはり彼女は怒っていた。ぷるぷると身体が震えている。そして、次の瞬間右手に物体召喚。三日月型の大鎌を召喚し、サットゥの首に押し当てた。それにしても何処かで見たことのある鎌だな……。なんつーか、女王様っぽい天使が持ってたような気がする。

「このまま逝くか、あいつらを倒して生き延びるか。好きな方を選びな」

「フハハハハ! そこなアゴ共! この私が出てきたからには貴様らに生きる道はないと知れ!」

 しかもお調子者だった。

 俺が半眼で見ているのに気付いたらしいマナが近寄ってきて呟く。

「あんな奴だけど、戦闘力は確かさ。上から三番目の実力がある」

「見掛けによらないことで」

 本当に見掛けによらないが、前魔王は犬である。今更驚いたりはしない。しかし、実力って戦闘力じゃなくてインパクト力じゃねーのかと思うのは俺だけだろうか。そんなしょーもないことを思いつつ視線をサットゥに向けてみると、彼とアゴリーダーはじっと対峙していた。

「…………」

「…………」

 似ている。

 世の中には似ている人が三人はいるというが、まさにその通りだ。何ということだろう、非の打ち所がないくらい完璧に似ている。

 もしや、お前は生き別れの兄さん!?

 もしや、お前は生き別れの弟!?

 ああ、運命の悪戯とはかように美しきことなり。今ここにこうして生き別れの兄弟が再会することが出来ようとは!

「勝手なナレーションを入れない」

 何処からともかく沸いて出た犬親父に対し、持っていた三日月鎌をさっくりとブッ刺してそのまま海に放り投げる。この犬親父も段々扱いがウイッカみたいになっていくなぁ。別に一向に構わないのだが。

 それはともかく、サットゥとアゴリーダーはまだ対峙したままだった。しかし、そこから溢れ出るピリピリとした闘気、緊迫感、殺気。それは間違い無く存在する。どうやらサットゥが上から三番目という実力は偽りではないらしい。並の奴等ではこの状況に耐えきることが出来まい。

「――シッ!」

 最初に仕掛けたのはサットゥだった。砂浜を蹴ったと思った時には既にアゴリーダーの懐に飛び込んでいた。そのままの勢いを殺さず弾丸のような蹴りを放つ。

 しかしアゴリーダーはその体勢のまま動かず垂直ジャンプをした。その高さはゆうに数メートルを超える。信じられないヒレ力だった。

「ビェードマシンガン!」

 空中にいる間に蹴りを外し体勢を崩しているサットゥに向けてヒゲマシンガンを放つ。この至近距離では避けられない。避けることなど不可能である。

 ――常人ならば。

 サットゥは姿形こそアレだが、『影の八守護者』に名を連ねる存在である。そして、その中でも実力は第三位。常人では回避不可能の攻撃でも、彼には不可能ではない。

「ハアッ!」

 気合一閃。迫り来るビェードマシンガン全ての弾道を見切り、弾き、回避し、自らの身体に傷一つ負わせることなく全てを避け切った。体を動かしたことで起こった砂煙の中、彼は悠然とたたずんでいた。その姿はまるで歴戦の勇者の如く決まっていた。海パンじゃなければ。顔が濃くなかったら。

「ビェードマシンガンッ!」

「なにぃッ!?」

 なんといきなりサットゥがアゴリーダーの技をそっくりそのまま使った。それはまるで鏡。鏡の如く見た物を正直に写す鏡。サットゥのアゴから発射されたヒゲマシンガンは完璧な狙いを以ってアゴリーダーを狙う。

「甘いッ!」

 しかしこの技の本家は向こう側。負けじと撃ち、サットゥのマシンガンを全て撃墜する。お互いが似ているが故に出来る芸当だった。

「……フ、やるな」

「貴様こそな」

 言っていることは格好良いが、その姿は格好良くなかった。

「シャアッ!」

「ッセイ!」

 サットゥとアゴリーダーは息を吐き、肉薄した闘いを再会した。

 サットゥが殴る殴る蹴る蹴る。アゴリーダーが避ける避ける払う払う。お返しとばかりにアゴリーダーが撃つ撃つ撃つ。サットゥが避ける撃墜する見切る。

「アーゴストライクッ!!」

「ジャウルクラッシャーッ!!」

 必殺技の応酬。放たれる度に地面が揺れる。空間が歪む。野次馬が空を舞う。二人が組み合うたびに近くの地面は陥没し、海は荒れ、アゴ部隊は吹き飛ばされる。

「シュアアアアアアッ!!」

「セイヤアアアアアッ!!」

 蹴りと蹴りが交差し紫電を散らす。拳と拳がぶつかり合い熱波を撒き散らす。もはやこの海水浴場はサットゥとアゴリーダーのためのバトルフィールドと化していた。

 二人の闘いが激しさを増すたびに海は大荒れに荒れ、嵐を呼び、雷が轟く。ヒートアップすればするほどそれらも激しさを増した。

 ――そうして、どれほどの時が過ぎただろうか。嵐は過ぎ去り海も穏やかになった頃のことだった。

「――次の一撃で、ケリをつけるぞ」

「そうだな。――来いッ!」

 まったく同時に地を蹴った。二人の距離がどんどん縮まる。一〇〇、八〇、四〇、二〇、十……零!

 一瞬、時が止まった。

 そう感じるほどに静寂の瞬間だった。

 サットゥの拳がアゴリーダーの顔面に。

 アゴリーダーのヒレがサットゥの顔面に。

 幻のクロスカウンターが決まった瞬間だった。

 そして、二人は崩れ落ちた。

 しばらくそのまま両者とも動かない。更にしばらく時間が経過し、アゴリーダーが声を上げた。

「フッ……やるな、お主」

「お前こそ」

 サットゥもそう答え、ゆっくりと身体を起こした。そしてアゴリーダーの元に歩み寄り、手を差し出す。

「お前のヒレパンチ、効いたぜ……」

「お前の拳も効いたぜ……」

 そう言ってお互いがっしりと手を握りあう。バックには沈み行く夕日がきらきらと二人を照らしていた。何だか物凄く青春していた。

「……なんか、友情が芽生えてるみたいだけど……結果オーライってやつ?」

「……だろうな」

 マナの呟きに俺は同意しておく。何だかんだあったが、どうやらアゴ部隊が女性をさらって行くという事態は回避出来たみたいだった。そう思いながら視線を戻してみると、いつの間にか別れの場面になっていた。

「さらばだ、ボブ・サットゥ! また逢おう、我が朋友よ!」

「ああ! また逢おう、我が朋友よ!」

 義兄弟の契りまで結んでいやがったらしい。とにもかくにもアゴ部隊はこうして海へと帰っていった。そして何やら一人満足しているらしいサットゥも自らの影の中に沈んでいった。

「これで本当におしまいかな。なんか、凄い疲れた」

「同感過ぎるほどに同感だ」

 ああもうなんかスゲエ疲れた。大して身体動かしてないはずなのにもうなんか無茶苦茶疲れた。このまま休みたい。泥のように眠りたいくらいだよ。

 だが、運命の女神はまだ休息を与えてくれるつもりはないようだった。

「た、大変じゃ!」

 蘇ってきたウイッカがいきなりそう叫ぶ。

「どうしたんだよ。ンな慌てて。こっちは疲れてるんだから手短に頼むぜ」

「悠長なことを言ってるでない! 津波じゃ!」

(サザンの歌?)

「そりゃTSUNAMIだ。それはともかく、津波がどうしたんだ?」

「ええい呑気な! 大津波じゃ、大津波がこっちに迫ってきているのじゃ!!」

「……はい?」

 余りにも突拍子ない台詞に思わず目を点にする。津波? 大津波? んなバカな。この穏やかな海の何処に津波が――

 いたよ。

 いやがったよ。

 物凄い大津波が物凄いスピードでこのティルレプア島に向かって進んできているよ。

「さっきの戦闘で地盤がズレたらしくてな、その結果があの大津波らしい」

 そりゃまたとてつもない結果だことで。

「って呆然としてる場合じゃねえ! いくらなんでもこれはマズ過ぎるぞ! どうする、マナ!」

 そう訊くと、マナはあっさりと言い切った。

 あっさり過ぎるほど、言い切った。

「アタシたちだけ逃げればいいじゃない。転移宝珠はまだあるんだし」

 ――逃げる?

 俺たちだけ?

 俺たちだけ、逃げる……?

 ――気付けば、俺はマナの胸倉を掴んでいた。

「な、なに、フィシス?」

「それだけは許さん」

 低い声だった。

 低く、暗く、静かな声だった。

 まだこんな声を出せることに少し驚く。だが、今はそれがありがたい。

 少なくとも、この気持ちを保ち続けるには有効だから。

「一人でも見捨ててみろ。俺は絶対にお前と真央を許さないからな」

「…………」

 マナが沈黙する。俺は収まってきた怒りを完全に静めると、胸倉を掴んでいた手を離し改めてマナに向き直る。

「……悪い。けど、この状況をなんとか出来るのはマナ、お前と真央しかいないんだ。だから、頼む。みんなを助けてやってくれ。魔王のお前にこんなことを頼むのは変だと分かってる。けど、それでも頼む。助けて、やってくれ」

「……バーカ」

 マナはそう言うと俺の頭を小突いた。

「え?」

「アタシはともかく、真央がお前の願いを聞かないわけないからな。現に今も、早く代われって言われ続けてるよ。真央の方が、静めるようなのは得意だしね」

「…………」

「それに、アタシだってこの島結構気に入ってるんだ。むざむざ壊されたくはないさ」

「……ありがとう」

「お礼は終わってからいいな」

 マナはそう言うと自らの翼を一枚一枚の羽根に分解。自らの身体を覆い尽くし、そして――

 羽根が消えたとき、そこには再び真央の姿があった。既に水着ではなくいつも通りのあの服装だった。

「……真央」

 俺がそう言うと、彼女はにっこりと微笑んだ。

 満面の微笑だった。本当に、魔王とは信じられないくらいの邪気の無い心からの笑顔。

 羨ましいくらいの、否、羨ましい本当の笑顔。

「大丈夫です、任してくださいね、フィシスさん!」

 真央はそう言うと津波に向き直った。もう、すぐそこまで津波は近付いてきている。時間にして、あと二分も猶予はないだろう。それを知っているのか、真央は即座に呪文詠唱に入った。

「祖は時を統べる者。汝は時を紡ぐ者。紡ぐ時は世界の果てへ、世界の果ては時間の元へ」

 真央の口から紡がれる呪文に比例するかのように、彼女の周りに幾つもの魔方陣が出現する。真央が手を振るうたびにそれは一つ二つと増え、真央が呪文を紡ぐ度に三つ四つと増える。いつしか彼女の周りには無数の魔方陣が出現していた。これだけの構成が違う魔方陣を同時発動、及び制御化におくなどまず無理な芸当である。魔王だからこそ、真央だからこそ出来る芸当だった。

 と、真央が少しぐらついた。やはりあの大津波を一人で抑え切るには時間が足りないらしい。だが、俺には彼女を手伝うことは出来ない。俺に出来るのはせめて――

 真央の身体を支える。

 真央が俺の方を振り向き、そして笑顔を浮かべた。

 ――せめて、これくらいだけだから。

 支えてやることくらいしか出来ない。

 これすらもかつて出来なかった俺だけれども、今はせめてこれくらいはしなければならない。

 真央は俺の支えを得て、呪文を加速させていく。その度に点在する力が指向性を持つのがはっきりと分かる。その全ては津波へと。

 ――真央が、また微笑んだ。それだけで分かった。

 ――魔法、完成。

――深遠なる、蒼!

 真央が何か言ったらしいが、かき消されてしまった。俺が見て聴いたのは、津波が破裂するように消滅したその姿と、盛大な水音であった。

 それをしばしぼーっと見つめていると、真央が俺の胸にもたれかかってきた。

「はぅぅ……、さ、さすがに疲れましたぁ……」

 そう言って崩れ落ちそうな真央を俺はしっかりと抱き止めた。彼女の暖かい身体を抱きしめながら、俺は彼女たちに言った。

「ご苦労様。それと、ありがとう」

「……はい」

 俺の笑顔をまともに直視したらしい真央が頬を染めながらもそう答えた。そんな可愛らしい彼女を胸に抱いたまま、俺は空を仰いだ。

「……すー」

 ふと真央に視線をやってみると、彼女は俺の胸で静かな寝息を立てていた。

「……お疲れだもんな。本当にありがとう、真央。また後悔せずにすんだよ」

 そう呟いて、静かに彼女の頭を撫でる。まるで猫のように真央は気持ち良さそうな顔をした。

 ――ふと、頭をよぎる何かがあった。かつて、似たような光景を見たことがあるような、そんな何かが。

 いや、何かじゃない。その正体は分かっている。分かっているからこそ、余計に辛い。

 だけど。

 この辛さを忘れはしない。

 忘れてはいけない。

 忘れることは。

 彼等を。

 彼女を。

 ――忘れることになってしまうから。

 

 

 

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